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I am in ruins

伊達市立関内小学校志門気分校 1  

2014年10月と2017年9月に訪問したので合わせての投稿します。

曲がりくねった道を上がると、林の中に集会所のような四角い造りの平屋の建物が見えてくる。
普通の住宅のようにも見える。


DSC_6507(1).jpg


正面玄関には学校名と校章が。
とても学校の造りには見えないが、学校なのである・・・・


DSC_6509-1.jpg


教室部分の広い窓。


DSC_6558-1.jpg


少しこの校舎の構造についてお話しよう。

なんと教室はたった一つ。体育館はもちろんない。グラウンドも狭い。
かなりの小規模校だったことが伺える。
しかしこれが昭和50年代まで現役だったのが驚きである・・・

さらに風呂付きの居住可能なスペース、宿直室のような部屋が壁一つ越しで隣接されている。
ここで教師たちが寝泊まりしていたのであろうか。

室内は雨漏りが進み、ここ3年でカビでだいぶ覆われてしまった。


DSC_6548-1.jpg

DSC_6549-1.jpg


他にも便所や水飲み場などの部屋もある。
左側は教室。


DSC_6538-1.jpg


4畳くらいのとても狭い職員室。
家庭科の授業用のミシンもいくつかあった。


DSC_6530-1.jpg


教室。差し込む光が心地よい。
並べられた十二個の机。


933 (3)

続く


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コメント

ここはまったくしらなかったっす

地図を見ると、関内小学校の東西に「志門気」「喜門別」ってあります。
両方とも学校があったのかなってなんとなく思います。
・・・志門気だけじゃバランス悪そうでみならいかのん

いつ建てられたかはわかりませんが、少なくとも昭和50年あたりまでは、
3学年複式があったらしいので、教室が1つあればカーテン本棚などで
仕切りをつければ、2学級は成り立っていたのかもしれません。
分校なので、関内小学校の学校長が兼任しているわけで、ここには
担任が1人ないし2人くらい住んでいたのかもしれません。
・・・もしかしたら公務補さんが住み込みだったかもしれないですねはじめっち

冬や雪の状況・道路の状態とかはちょっちわからないんすが、
関内小学校からさほど遠くもなく、「北海道の湘南」ってば呼ばれてる
地域だと考えれば、先生さんは本校の教員住宅から通っていたかもしれないっす。
地域住民の教育に対する考え方を、けっこう幅広く選択の余地を持たせていたのかもっす。
「徒歩通学」「他集団での活動」「個別指導の充実」「(家庭での作業を含めた)放課後活動」とかわからんすが、
一長一短があるっすから、「選択の余地」を提示して保護者に選ばせるのも、大事なんす。
・・・最近はその余裕がないっすゆたか…っていうか地域が二分することがあるのんす

あたいはむずかしいことはよくわかんないけども、
開校当時から地域の公民館的な働きもしてたんじゃないかななのだ。
校章・校名が残ってるんは、盗難にあわなかっただけでなく、
地域が見守ってきたからでないんか、愛着があるんでないんかなんて思うのだ。
・・・グランドも見てみたいのだつるみん





みならいかのん&はじめっち&ゆたか&つるみん #- | URL
2018/03/14 14:39 | edit

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2022/12/28 08:11 | edit

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