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I am in ruins

隠し部屋のある廃校  

この日の朝も夜明けから探索を開始。

雲一つない快晴だ。
思わず心が躍る。


少数の漁師や農家が暮らす小さな集落へとやってきた。
家と木々に隠されるように細い入口の奥に木造校舎が見えてくる。

「うけつごう 未来へ」…
力強いメッセージのはずなのに、儚く感じてしまう。

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この学校に入ってまず目につくのが、このメッセージプレートだ。


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よく見ると裏表ある。

木の板に手書き、というところが尚良い。
この木造校舎にぴったりだ。より一層雰囲気を暖かくしてくれる。


アンバランスのように見えて実は絶妙なバランスを保っている。


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朝の陽光が校舎を温める。

すがすがしい朝につられてこちらの心も晴れ晴れしているようだ。
心なしか、編集していても色温度が高めに感じる。


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右にゆくにつれて輪郭がぼやけていくシルエットが面白くてついシャッターを切る。
ちょうどいい時間帯に来たもんだ。


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廊下にはこんなものが。
あらかわいい。


こんなメルヘンチックな空間がある学校はあまり見ない。
このキャラクターたちにも名前があったのだろうか…



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記事タイトルにもあるように、この廃校には隠されるように存在する教室がある。

奥の体育館から、さらに奥へと廊下が伸びる。
侵入を拒むかのように、講演台が廊下の入り口をふさいでいた。


その先には、理科室などの特別教室があった。
理科室のとなり、理科準備室。
廃校マニアにとって、お気に入りの場所である人は多いのではなかろうか。

色とりどりの薬瓶や、実験道具にはだれもがついつい興味をそそられてしまうだろう。

そんな自分は、人体模型が特に好きである。
気味悪がられるが、僕は好きだ。

そんな彼らには一つ一つ特徴がある。
なぜだか知らないが、今まで見た人体模型はすべて違うモデルなのである。
妙にリアルなものもあったり、少し不格好でチャーミングなものも。
見つけていくうちにいとおしさすら感じてしまう。
(顔認識してくれるものが多く、スマホのフィルター付きカメラで盛れた写真を撮ることもできるよ)



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校舎の隅っこで素敵な出会いができた。

夜になって動き出してたら面白いね。


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勲功医院  

廃墟探索家の朝は早い。
日の出よりも早く活動は始まる。

少しさびれた住宅街の一角、もうすでにちらほらと散歩している人々もいる。
急がねば。本格的に朝が始まる前に・・・

住む人ある家々に四方を囲まれ、その医院はあきらかに「廃」の臭いを放っている。

色々な意味で高まる緊張感の中、意に反して引き戸はすんなりと開いた。
中は・・・一言で表せばゴミ屋敷だ。
建物自体は廃墟だが、かすかに人の気配を感じるような不気味さがにじみ出ている。
猫臭さとあの独特の加齢臭が残り香となって鼻をかすめていく。
廃墟になってそれほど時は経っていないようだ。

渡り廊下の屋根が崩れ始めている。
医院側の棟へ来たが、床が大半落ちていており、タンスや棚たちが折り重なっていた。
先は長くないのかもしれない・・・

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薬局。
物が乱雑に積み重ねられ足の踏み場がない。


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診療室。
薬品や診療器具は残っているがまとめられることなくそこらじゅうに落ちている。


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何か視線を感じると思ったら、これだった。
ここに来た患者は、白黒の肖像にみられながら診察されたのだろうか・・・


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ここの院長はどうやら功績のあるお方らしく、旭日章を受章しているようだ。
時の首相竹下登からの賞状も、当時は誇らしげに飾られていたようだが、いまは床に無造作に置かれている。
国または公共へ多大な貢献をした者に送られる賞だ。
知識豊富な腕利きの医者だったことは間違いないだろう。

それなのに、今はただのゴミ屋敷である。
栄枯盛衰を目の当たりにするかのようだ。

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診療室の奥は病室。
病室も10を超えるそこそこの規模の医院だ。


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二階にも病室がある。


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二階はゴミが少なく当時の様子を感じることができる。
思えばここが一番廃医院ぽさを覚えたかもしれない。


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二階だけは当時のまま手つかずのようだ。ベッドもしっかり残っている。


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ベッドのことを述べたのに何で椅子だけ?と思うかもしれない。

中を探索中、日がもうだいぶ上がってきていた。
人々が完全に活動を始める前に、早いことでなければ・・・おちおち探索を続けていられない。
このとき、時間を追われる切迫感から落ち着いて撮影ができていなかった。
自分でも悔しいほどろくな写真が取れてなかったのである…
構図も手ブレも最悪。
ま、暗かったのに手持ちだったせいもあるんだけど。

撮影において焦りは禁物だ。

青空図書館の廃校  

廃校好きならあこがれるであろう、二階建ての木造校舎。
あの独特な存在感は、母校でなくてもどこか郷愁を覚える。

北海道にも数年、10数年前にさかのぼればいくつか存在していた。(モルタル木造校舎であれば今でも少ないがみられる)
しかしこのためされる大地は、風雪という試練を与えてくる。
半壊の末解体という例はよく見られる。望ましいパターンではあるが転用されるケースも。


津軽海峡を越えた先には、今でも多くの二階建て木造校舎が残る。
たかだか50kmも離れてないというのに何たる格差。
道民にとってはただただうらやましいばかりである・・・


今回ご紹介する廃校も一部木造二階建てである。



校舎の端っこの増設部分からお邪魔する。
この部屋は図書館のようだ。


扉を引いた絶景が飛び込んできた。
天井は程よく崩れ、徐々に傾き始めた日差しが差し込んでいる。
床からは日光を浴びた草木が伸び始めている。

完成されている・・・!と心でつぶやいた。


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まだあまりぐちゃぐちゃになってないのが良い。
そのかわりもう床がふわふわで、足踏みでもすれば今にでも落ちそうだ。


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時間が限られている。
図書館はこの程度にして他を探索しよう。

図書館から廊下を通る。
廃校から20年ほどたっているが、対照的にまだ状態はよさそうである。


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Hのような形をした校舎。
校舎から体育館に向かって垂直に廊下が伸びる。


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そうこれこれ。
こういう要素はたまらない。


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体育館。

バスケットボールがひなたぼっこ。
つくづく時間のタイミングと天気に恵まれた。


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体育館の壁や廊下には大きな卒業制作が。
廃校の卒業制作を見るのは結構好き。

とくに自分の顔の木彫りなんか見ていて面白い。
たまにふざけておかしい顔に掘ってる奴。


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校舎部分に戻って探索を続ける。

外見はいろいろと剥がれ落ちてきてるが、こんな感じでまだまだきれいな部分もある。


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二階へ。


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図書館の上あたり。
やはり崩壊してきている。

理科室や美術室を兼用してたようだ。
廊下から教室見えるように作られた窓ってめっちゃ好きなんですが、廃校好きならわかってくれるはず。


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特段残留物が多いわけではないが、見所がある要素が多い、そんな廃校だった。

現役の農道がすぐ横を通っており裏の畑でおじ様おば様方が農作業していた。
ここも、熟成される前には解体されるだろう。

まだあるうちに来れてよかったと思う。

タイムスリップ廃医院  

これまでは廃鉱山や廃校ばかりを訪れてきたが、最近はめっきり廃医院にのめり込んでいる私である。
廃墟が好きなのは当然だが、歴史好きというかレトロ好きな側面もあるため、歴史的側面に触れやすい廃医院にはまっているのだと思う。

廃墟になる医院や病院は、だいたい昭和40年前半以前に開業のものがほとんどだ。
古ければ戦前、大正明治開業の物もある。
ここは明治30年代に先代が開業したもので、戦後まもなくして二代目が継いだ医院である。

町はずれの広めの敷地に立派な居宅が構えてある。
木造の医院と住居はつながっておらず、トイレ(というか厠というべきか)も外に設置されている。
古来日本の伝統的な建築様式という雰囲気だ。


廃墟になってそれほど経っていないが木々が生い茂り全貌を眺めることができない。

敷地に入ってすぐに右手に見えてくる建物が医院。
建築自体は古いが、改築されているように見受けられる。


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医院の中は思ったよりがらんとしている。
タンスや机いす、書類はあるが薬類、診療器具などはほぼすべて撤去されているようだ。


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すぐ隣の物置と住居側を見たがこちらも医院の物はなかった。

ただ、奥にある蔵がすごい。
まさにレトロの宝庫だった。

蔵の2階、気温湿度が一定で鼠が入ってきにくいためか、以上に保存状態がいい。


これは近世医学叢書「寄生性皮膚病及其治療法」という本だ。
いきなり「近世」というワードが目に入るすごさ。


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これは明治45年発行らしい。
初版か?
かびてはいるもの普通に読めるくらいページはしっかりしている。


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これは診断学という医学書。
断が旧字。隷書体なのがまたたまらない。
これはあきらかに食われた跡があるが・・・


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明治30年!!先ほどよりさらに古い。

今まで医院を見てきてこれほど古いものを見たのは初めてだ。
国会図書館レベルでは・・・


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これも明治30。
諸出入簿ということは今でいう現金出納帳とか家計簿みたいなもんか。

郷土資料館以外で和綴じの本を見たのも初めて・・・


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これは朝日新聞社による「帝展号」という本。
帝展とは現在でいう日本美術展覧会のこと。
明治40年から始まり、戦前まではこの呼び名だった。

本には、当時の展覧会で発表された作品が収められていた。

このように物から歴史をたどる楽しさもたまらない。


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これは1920年のJCAというカメラ会社によるカタログだ。

カメラは見当たらなかったが、購入を考えるくらい裕福な家庭だったことは間違いない。
この蔵には戦前の手紙や電報がたくさん残されていたが、その中身を見てみると
戦前の時代に自分の娘を東京の女学校に通わせていたことがわかった。ホンマモンのお嬢様だ。

ここまでの生活をできたのは当時ごく一握りだったろう。

もともと祖先はこの土地の有力者だったとも考えられる。


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よく読めないが大正7年の文字が見える。

明治大正昭和初期のものがゴロゴロ置いてある。
ヤベエ。語彙力を失う。


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一瞬わからなかったが、どうやらおみくじのようだ。
よく残してあるなあ・・・


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当時の商品の広告だろう。
全然黄ばみも色褪せずに残っている。
圧倒的保存状態の良さ・・・

至誠堂ってあのSHISEIDOか!?とおもったら別のしせいどうだった。
SHISEIDOは漢字では資生堂。


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医院を訪れたら必ずチェックしていることがある。
医院名の書かれた処方箋や薬袋、封筒などがあるかどうかである。

ここが確実に医院であったことを証明してくれる安心感。
ここにもちゃんとありました。医が醫で書かれているあたりポイントが高い。


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医院よりもずっと蔵のほうに時間を費やすという物件だった。
私のようなレトロ好きにとっては宝箱のような空間。

またじっくり見に行きたいな。

今が旬の廃校  

二年以上越しの更新となりました。
その間閲覧しに来られていらしていた方は大変申し訳ありません。

最近はSNSで画像をアップロードするまでにとどめていた。
しかし、SNSでは数枚しか同時にアップロードできず文の長さも限られるため、いままでブログで書いてきた、一枚一枚に事細かに説明するような文章が書けません。
伝えたいことが多すぎてまとめられないので、慣れ親しんだブログに少しに戻ってみることにします。(要は、恥ずかしながら要約が苦手ってことですw)

更新は不定期になりそうです。
記事にできそうな物件はたくさんあるので時間がある時にはやってみようと思います。



今回ご紹介するのはこの物件。

廃校過密地帯にひっそりと存在する小中学校の廃校。しかも木造。
廃校の管理はその自治体に任せられることが多く、したがって廃校のありようも自治体によってさまざまだ。
地区会館に転用したり、民間に引き渡したり、解体したり、あるいは放置したり・・・


グラウンドに積まれた土砂や木に阻まれ校舎の全容は見ることができない。
所々壁が新しくなっているためそこまで古くは見えない・・・


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が、中に入ればいい具合に朽ち始めている。
廃校好きにはたまらない崩壊感だ。


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所々屋根がはがれ日が差し込んでいる。
そのため雨漏りがひどいが、そのおかげで、最高に廃な雰囲気を演出している・・・


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心臓の模型。
多分画鋲のようなものが意味ありげに刺さっている・・・


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それにしてもこの廃校は日の差し込みが大変美しい。
すりガラスに反射する光の暖かさよ。


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植物も生え始めている。この先どのくらい熟成されていくのが楽しみな廃校だ。


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小学校の最後の卒業生はたった二人だったようだ。
その生徒も別の中学に通うことになったようだ。


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それにしてもこの廊下は最高だ。
これを見るためだけに来た価値は十分あるだろう。
感動すら覚えるほど、今まで見てきた廃校の中でもかなりいい部類だった。


過密な旅のスケジュールに追われ、別れの時間がやってきたとき後ろ髪を引かれる心地だった。
さようなら、次来るのはいつになるだろう。
もう次はないかもしれないけどね。

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久々の更新のため文章が雑すぎて申し訳ありません。
基本的に廃墟の説明は常体、ほかの文は敬体という常体敬体ごちゃまぜで書こうと思います。(自分的にしっくりくるので)

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